連載 第5回 イノベーションのプロセス

イノベーション戦略と新規事業創出

前回は、用途の目利きについて解説しましたが、今回はイノベーションのプロセスを説明します。

目次

イノベーション戦略と新規事業創出(第5回) 玄場公規

イノベーション戦略を立案する場合には、その前提として、イノベーションを創出する活動に着手してから、成功に至るまでのプロセスを理解していることが求められる。今回からは、イノベーション戦略を考える基礎知識として、従来から述べられているイノベーションのプロセスについて説明しよう。

リニアモデル

イノベーションが創出されるプロセスを普遍化したモデルがイノベーションプロセスモデルである。最も基本となるモデルとして提唱されたイノベーションプロセスはリニアモデルあるいはパイプラインモデルと呼ばれる。

リニアモデルは、基礎研究→応用開発→設備投資→利益分配という直線的に技術革新が行われるというモデルである。このモデルを前提にすれば、原則として、基礎研究における新しい発見に基づいて、製品開発が実施されることになる。端的に、これを当たり前だと考える人も多いが、後に述べるように実際に行われているイノベーションのプロセスはこれだけではない。

一般的にイノベーションは技術革新と捉えられていることは既に述べた。この点、技術革新が実現するプロセスとして、リニアモデルがもっともイメージしやすい。そのため、実務的にも、製造業がイノベーション戦略などを立案する際、このリニアモデルを想定して、戦略が立案されていることが多い。ただし、このリニアモデルは、イノベーションのプロセスを極めて大枠で捉えているに過ぎず、各企業のイノベーション戦略を考える上では、必ずしも、十分ではないことに注意が必要である。リニアモデルの枠組みだけに捉われていると、各企業の競争優位の源泉を見失ってしまう可能性すらある。

イノベーションが実現したプロセスを大きな視野で捉えれば、リニアモデルは、間違った考え方ではない。イノベーションを実現する要素技術の多くが、その源泉を遡れば、基礎研究による新たな発見から出発したと言える。しかし、一つの企業体のイノベーションプロセスにおいて、基礎研究から応用、製品化までを一貫して実現することは容易ではなく、戦略立案の前提として、リニアモデルのみでは不十分である。

例えば、1980年代において、日本の製造業の競争力が注目され、その競争力の源泉は何かを探る動きが盛んになった。そして、このリニアモデルを前提として、ゴモリーは、日本のイノベーションの特徴として、短期間に次々と製品を開発・改良する点に特徴があると指摘した(Gomory 1988)。すなわち、日本企業は、欧米企業に比べて応用開発に重点が置かれているというものである。このモデルは「ショートサイクルモデル」と呼ばれており、日本企業の競争力の源泉であるという主張がなされた。

しかし、確かに、ショートサイクルモデルは、当時の日本企業のイノベーションの一面を捉えてはいるが、日本の競争力の源泉を説明する上で、十分な概念ではない。例えば、ブランスコムは、単純に漸進的に技術を改善するのみでは、企業の利益率は徐々に減少するため、ショートサイクルモデルは、日本企業の競争力を必ずしも説明していないと批判した(Branscomb 1992)。

また、実際のイノベーションプロセスにおいては、基礎研究による発見も重要であるが、漠然として消費者の潜在ニーズから出発することの方が重要である。そのため、言わば、リニアモデルとは、逆のアプローチからのイノベーションプロセスモデルも考える必要がある。

前記のブランスコムは、技術開発には、仮想的市場を想定して、新技術によって、それを出現させることが重要であるとする。そして、児玉は、仮想的な市場における潜在的な需要を技術的な課題まで翻訳する過程が重要であるとして、需要表現という言葉を提唱した(児玉 1991)。イノベーション戦略においては、潜在的な需要を「分解」して明確化し、技術開発成果を「統合する」という二つのプロセスが必要である。すなわち、開発された新しい研究成果をどのように用いるかということも重要であるが、需要を見出し、それを翻訳する過程も重要であるという主張である。

実際の研究開発の現場では、製品化・事業化に直結する技術開発が主として行われていることも事実であり、ショートサイクルモデルも間違いであるとは言えない。短期的に収益を上げるためには、次々と新しい製品を開発することも重要である。しかし、ショートサイクルモデルのみでは、開発の費用対効果が減少するため、基礎研究による科学的発見も重要である。そして、仮想的な市場・潜在需要を翻訳して、それに基づく研究開発の課題を設定することも必要である。要するに、いずれのプロセスもイノベーションにおいて重要であり、多様なプロセスを踏まえた戦略の立案が必要であるということである。

トリクルアップ

日本の製造業の競争力を説明する別のイノベーションプロセスモデルとして、トリクルアップという概念が提唱されている。トリクルダウンという概念は経済学の用語として良く知られている。トリクルダウンは、水が滴り落ちるという言葉であり、例えば、公共投資によって、民間需要が自然と刺激されることを意味する。これに対して、トリクルアップは、技術の改善により、技術の高度化がある域値を超すことによって、新しい用途が開けるプロセスである。前節で述べたように新しい用途の開発は、大変難しいプロセスであり、決して、自然発生的に用途が開けるのではない。トリクルダウンは、重力によって、自然にしたたるが、トリクルアップは水を汲み上げるような努力が必要であることを意味している。

米国では、「スピン・オフ」による新事業展開が有効であると言われた。この「スピン・オフ」の前提は、「軍事技術」のような高度な技術が「民生技術」へと展開されると想定された。すなわち、高度な基礎研究成果による「汎用技術」が、民間企業へ「トリクルダウン」されるのである。

しかし、日本でも大学等の基礎研究成果が自然に民間企業に移転するということが無いように、現在では、スピン・オフは必ずしも容易ではない。以下の液晶技術の事例でも認められるように、高度な基礎技術が一般の民生市場の技術へと自然に流れないのである。民生用として実用化されるためには、技術の高度化を目指した長期的な視野に立ったイノベーション戦略が必要である。

トリクルアップの代表的な事例として、液晶の商品化が挙げられる。液晶の原理は、19世紀にヨーロッパで発見されたものであるが、液晶の実用化を最初に行ったのは、米国企業のRCAという当時世界最大の家電メーカーである。試作品として、数字・文字表示デバイス、窓ガラス・カーテン、静止画表示装置、操縦席表示装置等が公開された。しかし、RCAは、その後、液晶を商品化することはなかった。RCAが当時開発した液晶技術は、確かに高度であったが、自然に一般市場へと応用されなかったのである。

液晶を最初に商品化したのは、日本企業のシャープである。周知のように、同社は、液晶技術を数多くの製品の表示装置として商品化してきた。同社の液晶の商品化は電卓の表示装置から出発している。電卓であれば、10種類の数字を表示する程度のものであり、いわば応用範囲を限定して、技術開発が行われ、商品化が可能となったのである。

この当時、時計メーカーも省電力・長寿命の小型薄型表示として応用することを目的とし、液晶技術の実用化に成功している。ただし、その後、多くの時計メーカーが液晶表示の開発を躊躇する中、シャープは、液晶を表示装置の中核技術として開発を続けた。同社は、液晶技術を次々と高度化し、実用化の範囲を広げていった。

このようなシャープのイノベーションプロセスから、日本企業の競争優位の源泉を説明できる戦略概念として、前記のブランスコムは、日本の電子関連企業の技術開発戦略を次のように解釈した(Branscomb 1989)。それは、「日本の電子関連企業では、新技術の製造経験を出来るだけ早い時期に蓄積し、新技術の応用を、機能水準が低く、価格の安い製品(一般消費財)から出発する。そして、この製造経験を基に、産業用の高度な市場へ向けて技術開発を行い、同時併行的に、付加価値の高い製品についての「機能学習」を行う。さらに新技術の応用を、利益率の高い、特殊用途を必要とする製品へと順次展開する」戦略を採用しているというものである。これを彼は「トリクルアップ戦略」と呼んだ。

繰り返しになるが、世界で初めて液晶を表示技術として応用し、静止画表示装置、操縦席表示装置などの高度な試作品を開発したのはRCAである。その後、シャープが実用化したため、その歴史を大枠で捉えれば、高度な基礎研究の成果が様々な民生用途に自然に展開されたとも解釈することができる。しかしながら、シャープが電卓という用途を限定して開発し、それが、様々な用途に展開できるという長期的な視野に立ったイノベーション戦略がなければ、現在のように、幅広い用途での液晶の実用化がなされなかった可能性がある。

近年、日本企業でも、短期収益を求めるあまりに長期的な視野にたった研究開発が軽視される傾向にある。しかし、トリクルアップという長期的な視野に立ち、次々と用途開発を実現したイノベーション戦略が日本企業の競争優位の源泉であると指摘されていたことも忘れてはならない。


参考文献

  • Gomory, R. E. (1988) “From the Ladder of Science to the Product Development Cycle”, Harvard Business Review, 67( 6), pp99-105.
  • Branscomb, L.(1992) Beyond spinoff : military and commercial technologies in a changing world, Harvard Business School Press.  
  • 児玉文雄(1991)『 ハイテク 技術 の パラダイム : マクロ 技術学 の 体系』 中央公論社。
  • Branscomb, L. (1989) “Policy for Science and Engineering in 1989, A Public Agenda for Economic Renewal”, Business in the Contemporary World, .2( 1).

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本連載の一覧については、連載『イノベーション戦略と新規事業創出』をご覧ください。

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